現代のエスプリ別冊
 
消費としてのライフスタイル 2000年5月発行
 

主婦は消費者から生活創造者に変わることができるか

 
(有)長原マーケティング研究所 代表 長原紀子

● 家族はいま、仮属

ある団塊世代の女性から、「同居している社会人の息子が、携帯電話を持ってから、ガールフレンドとの関係がどうなっているのか全くわからなくなった」という話を聞いた。以前は電話を取り次いだりする中で、それとなく、関係の進行状況や新しいガールフレンドの登場などがわかったのだと言う。

一家に一台の家庭電話から、個人に一台の携帯電話に、コミュニケーションのツールが変わる中で、家族生活にも様々な変化が押し寄せている。

昔のホームドラマでは、一家団欒の最中に怪電話が掛かかってくるというシーンがよくあった。その時の、夫あるいは妻の不審な態度から浮気が発覚するという展開がよく見られたものである。しかし、今は、そのようなシーンは使われなくなった。最近、よく見かけるのは、夫あるいは妻が携帯電話に不審な番号を見つけてコールバックすると、浮気相手が発覚するというシナリオである。ドラマひとつとって見ても、人と人との関係を結ぶ道具としての電話の使い方が大きく変化していることがわかる。

 専業主婦にも携帯電話を持つ人が増えている。子供を持つ母親の場合、幼稚園や小学校で、急場の連絡用に携帯を持つことを義務づけられるところもあるという。いつでも呼び出される可能性があるので、不自由なようにも受け取れるが、実態はその逆らしい。ある専業主婦は、「携帯でどこにいても連絡がとれるので、昼間、必ずしも家にいなくてよくなった」ことを歓迎していた。

 携帯電話以上に電子メールでは、家族や他人に窺えない形でコミュニケーションをとることが可能である。
職場内の恋愛などでは、メールが連絡に使われるようになって、電話で連絡をとりあっていたころよりも周りに気づかれずに交際するカップルが増えているという話もある。メールでは時間差があってもメッセージが伝わる。待ち合わせの時には,多少場所などが不明確でもお互いに携帯で連絡を取り合えば必ず会うことができる。このような環境下では、すれ違いのドラマなども成立しにくくなると思われる。
 
 メールアドレスを持たない妻が、メールで仕事に必要なファイルを受け取るために夫のアドレスを借りたところ、夫に来ていた女性からのメールまで読んでしまい、以後夫と別々のアドレスを持つことにしたという話もある。同じ料金で、5つまでアドレスを持てるプロバイダーサービスがある。家族で別々のアドレスを持つことができ、それぞれパスワードを設定して使用できるため、家族それぞれがメールをする人々によく利用されている。 
このように、携帯電話や電子メールは、家族の構成員が、他の家族に縛られることなく、行動しやすくなるための便利な道具として使われている。このことは、家族が個々に行動する自由を得ることと裏腹に、家族の情報共有が少なくなるという面を産み出している。家族それぞれがより強固なプライバシーを持つことができるようになってきたのだ。
一家団欒や家族遊びなど別のコミュニケーションの機会を増やし、個人化した家庭外との情報のやりとりを補う家族もある。一方、同じ屋根の下に住みながら、ほとんどの時間を個々に過ごす仮属に過ぎない家族もいる。このような家族の変化は、消費のディテールに様々な面で影響を与えている。

●変わる消費ユニット

最近のスーパーの家庭用品売場では、個鍋やはいちょうが売れている。個鍋は、日本旅館などに行くと一人一人のお膳によくついてくる、独り用の鍋である。これが一般家庭用にも売れ出した。普通の日の夜は、家族それぞれの帰宅時間に差があり、中々家族揃って一緒に食事ができる家庭は少ない。鍋は冬場の日本の家庭ではよく食卓に登るメニューである。材料を揃えて火にかければ出来てしまう簡単な料理であることも出番の多い理由である。しかし、食べる時間がばらばらなのに、大鍋で作ってしまっては、後から食べる人の分は煮えすぎてしまったりするので具合が良くない。そこで、個鍋に一人分づつ、材料をセッティングしておいて、帰ってきた順に作って食べるという方法が現在の家族の生活には好都合なのである。

 はいちょうは、昔はよく家庭で見られたものだが、しばらく姿を消していた。食卓の上にかぶせるもので、昔はハエよけのために各家庭にあった。それがリバイバルで売れているのは、後から帰って食べる家族の食卓をセットして、かぶせておくのに便利なためである。新聞紙やラップを掛けておくのではあじけないので、レトロな懐かしさもある、はいちょうが見直されたというわけである。

 スーパーやコンビニエンスストアでは、一人用の直ぐ食べられる惣菜・弁当・デザートなどの品揃えが、ますます豊富になっていることは言うまでもないであろう。バスルームにあるシャンプーやリンスにも家族一人一人の好みのブランドが家族の数だけ並んでいるのも珍しいことではなくなった。

このように、家族とは言いながら、その実態は生活時間や嗜好のバラバラな個人の集まりであり、家族の中での、物の消費のされ方がますます個人単位になっていることは明らかである。

●  「主婦」という存在の曖昧さ

家族が仮属化し、消費ユニットが個人化する中で、消費の主役であった主婦の位置は地盤沈下していると言える。そもそも、「主婦」という言葉の意味するものもあいまいになってきている。

既婚女性で、仕事をしていなければ、「主婦」と言えるのだろうか?未婚者で、ぶらぶら家にいて何もしていない人は「家事手伝い」と言えるのだろうか?一番曖昧なのは、何らかの仕事を持っている既婚女性の場合である。その場合は仕事の程度・状況により、「主婦」だったり「有職女性」だったり、また「有職主婦」と呼ばれたりする。
 このような曖昧な分け方をするくらいなら、<未既婚>と<仕事の有無>にわけてきちんと捉えた方がすっきりするのではないかと思うが、中々一度ついた社会的習慣は抜けきらないようだ。

「職業は?」「主婦です」という会話はしばしば、何気なく行なわれている。仕事を持っていても、夫の扶養の範囲で働いている女性の中には「主婦です」と答えて済ましている人も多い。年配の男性の中には、既婚女性をまず「主婦」と捉えたいという概念的枠組みを持つ人も多い。

ある既婚でバリバリ会社の経営をしている女性の友人のことを60代の男性に説明したことがある。その男性は「その方は主婦ですか?」とまず聞いたので、答えに窮した。実はその女性のところでは、夫が専業主婦役をしていることを私は知っていたからである。子供はいない。「結婚していますけれど、主婦ではありません」と返すと、「結婚しているなら、主婦ではありませんか」と言われ困ってしまった。

新聞等でも、主婦政治家、主婦選手などの呼び方がよく使われる。しかし、そう呼ばれた著名な女性達が、夫や子供がいることは確かだとしても、家事一般を取り仕切っている主婦であるとは限らない。そんな時間はあるはずがないことのほうが想像しやすい。今年の10月に、世界柔道で金メダルをとった楢崎選手を、ある新聞のスポーツ面では「27歳の主婦選手」と書いた。別の新聞では「一昨年春の結婚が精神面の安定に役立っている」という表現で、結婚生活に触れているが特に主婦という言葉は使っていない。このように、新聞によって、扱い方に差があるものの、既婚女性の場合、世界レベルで活躍しようが何をしようがお構いなく、「主婦」のラベルを貼り付けることに疑問を感じるのは私だけではないだろう。

主婦という言葉のニュアンスには、「家事を担う」という意味が強い。最近では、結婚しても、「家事をしない」あるいは「家事ができない」女性も多い。そのような女性に主婦という言葉はそぐわない。このように、主婦の概念そのものも、女性のライフスタイルの変化に伴って、曖昧なものになってきている。

● 純粋な消費者が見えにくくなった

私はマーケティング研究所を主宰している。その関係で、「消費者」に接触する機会が多い。企業や団体などから依頼を受けて、「自社製品の最終ユーザーはどのような人々か?」「自店のロイヤルカスタマーのライフスタイルは?」「インターネットショッピング経験者の購入プロセスは?」などといった課題の答えを求めて、「消費者」に会うのである。人々がものやサービスを買うモチベーションやプロセスを探り出し、そこから、「ブランドの再構築」や「売場の再構築」の方向性を導き出す。あるいは、これから、「どんな方向で新製品を出すべきか」を探り出すのである。

一般的に、マーケティングリサーチの対象として最もふさわしいとされるのは純粋な消費者である。純粋な消費者とは、ものやサービスを手にいれる時に、利害関係を考慮せずに、自発的な欲求に基づいて行動する人である。そのためには、ビジネスに関わりが少なく、もっぱら消費に専念する人間がふさわしいと考えられている。

特定の会社に勤めている会社員であれば、その会社の製品を売るために、おつきあいで取引先や関連企業の保険に入ったり、銀行の口座を作ったり、製品を買ったりすることはよくありがちなことである。その人たちが、財やサービスを購入する理由は、「取引先とのおつきあい」や「見返りの期待」であって、純粋にその商品やサービスが欲しいと思ったわけではない場合も多い。それでは、マーケティングリサーチの対象者としては動機が不純すぎるというわけである。
また、純粋な消費者は買物行動を起こす際に影響を受ける情報についても偏っていないことが望ましい。例えば、広告代理店や調査会社に勤めていたり、マスコミ関係の仕事をしている人は、新しい商品の動向や業界の事情に通じていることが多い。また、メーカーや小売業・サービス業に携わっている人の場合には、特定の商品分野やサービス内容について普通の人が持っている以上の豊富な情報を持っている。このような人々をマーケティングリサーチの対象者にする場合、その意見や行動から、一般消費者の動向を拡大解釈するのは難しい。それゆえ、こうした人々も純粋な消費者とは言えない。

一般的に、マーケティングリサーチが求めているのは、自発的な欲求から、情報を取捨選択し、そこから意思決定を行い、あるブランドなり、あるメーカーなりの商品を選ぶ可能性の高い消費者である。

そこで、いわゆる生活消費財の場合、一般的に調査の対象者にふさわしいとされているのは「普通の主婦」であった。なぜかと言えば、「普通の主婦」は、家庭における消費の主役であると見なされていたことと同時に、どこにも勤めていないことが多いので、勤務先や職業上の意識や行動のバイアス(歪み)が少ないだろうとされたからである。夫や子供の勤務先などによって、ある程度の影響が考えられないこともないが、その場合には「夫や娘・息子など家族にOOにあてはまる人がいないこと」という条件でスクリーニングすればことたりた。

さらに、「普通の主婦」の条件としては、「30代なら、小学生・幼稚園の子供、40代なら中・高校生、50代なら大学生の子供がいる」「離婚や別居などをしておらず、夫の存在感がある」など、標準的な家族を持っていることや「仕事を持たないか、持っていても夫の扶養控除を受けられる範囲内で、主に家事に従事していること」などが付け加えられることが多かった。このような条件を満たす人が企業の考える自社の顧客の一般的モデルであることが多いからである。しかし、このような条件にあてはまる人間は、いまや既婚女性の一部に過ぎない。

その理由は大きく分けて次の2つである。

(1) 女性が仕事を持つことが増え、男性と同様、仕事を持つことからくる消費や情報のバイアスをより多く持つようになった。

(2) 結婚や出産の時期が多様化したり、結婚しても子供を持たない夫婦が増えたり、一度結婚しても離婚する人などが増えて、標準的な家族の主婦という存在が見えにくくなって来た。

国勢調査(図1)を見てもあきらかなように、両親と子供の揃った典型的な核家族の割合はいまや減少しつづけている。1980年には、世帯総数を100とした時に、「夫婦と子供だけの核家族世帯」の構成比は約42%あった。それが、1995年には約34%に減少している。その代わりに、単身世帯や夫婦のみ世帯、父親と子供あるいは母親と子供で構成される片親と子供だけの核家族が増えている。

家族類型から見ても、典型的な家族という概念が崩れつつあることがわかる。その中で、消費に専念する純粋な消費者である「普通の主婦」という存在自体が、昔と較べて見えにくくなったことは否めない。

そこで、純粋な消費者として、次に注目されたのは「子供」である。特に、情報や商品に対する好奇心が強い女子高校生の人気が高まった。女子高校生は、まだ企業の論理に浸されておらず、商品が売れるかどうかのリトマス試験紙になってくれる、純粋な消費者の残された一群と言える。しかし、高校生では、ライフステージ的にも経済的にも消費の領域や関心の在り処が限られる。

いまだにマーケティングリサーチの対象に、「普通の主婦」の意見を拠り処に求めている企業は多い。

● 「カリスマ主婦」の存在理由とは

家族の変化や、女性自身の変化により、純粋な消費者としての「普通の主婦」が見えにくくなってきた反面、一部の主婦がライフスタイルのリーダーとして注目される傾向が出てきている。この人達は主婦のアイドルという意味で「主婦ドル」と呼ばれたり、最近はカリスマという流行語と合体して「カリスマ主婦」と呼ばれることもある。
カリスマ主婦には、料理研究家出身の女性が多い。その中の一人である、栗原はるみには「ハルラー」と呼ばれる熱烈なファンがいることはよく知られている。「ハルラー」とはファッションからライフスタイルまで栗原はるみ流をお手本にしている彼女のライフスタイルの信奉者達のことを指す。こうした信奉者達の支持を得て、栗原はるみは料理本の出版や料理番組で活躍するだけでなく、オリジナルの器の店を出店したり、百貨店で大々的なフェアを開くなど、「栗原はるみ」をブランド化したライフスタイルビジネスを進めている。

「最初は普通の主婦だった⇒好きな料理で家族を喜ばせるだけで満足していた⇒夫の友人やご近所の評判になった⇒そうこうしているうちにテレビに出る⇒雑誌や本を出す⇒あらゆるメディアに登場する有名人になる⇒好きな商品などを集めたお店が成功する」という彼女のサクセスストーリーは主婦だけでなく、若い女性をも魅きつけている。
こうした、カリスマ主婦ブームは、アメリカでは日本より早くからあった。主婦業から、テレビに登場し、そのライフスタイルテイストを独自のカタログ販売やスーパーマーケットチェーンのオリジナルブランドとして展開し、株式上場まで果たしたマーサスチュワートはその代表例である。(図2)

このような、ライフスタイルリーダーたる主婦の登場は「普通の主婦」の復活を意味するのものだろうか?私はそうは思わない。先に見たように、家族のあり方の大きな変化の中で、主婦の存在理由は昔ほどはっきりしなくなったことは確かだからである。最近のライフスタイルリーダーたるカリスマ主婦の登場は、「素敵な家庭生活」をビジネス化しようというマーケティングの目論見と、それを、新鮮なエンターテイメント情報として消費しようとする人々の欲求に支えられている。

 今、生活者は「自分にとって嫌なこと」はお金さえ払えば、外部のサービスビジネスにアウトソーシングできる。お掃除はハウスクリーニングビジネスに、お買物は宅配ビジネスに、贈り物の手配はインターネットショッピングビジネスに頼んでしまえば事足りる。毎日の食事はコンビニエンスストアやスーパーマーケット・百貨店地下食品売場で調達できる。それに飽きたらレストランやファーストフードに食べに行けば良い。

 子育てや介護は、サービスビジネスとしてはまだ十分とは言えないが、ニーズがあってビジネス化できるとなれば追々、対応するニュービジネスが必ず出てくる。
 このようにして、「嫌なこと」「できればしたくないこと」は、便利なものやサービスを購入することによって簡便に済ますことができるようになった。一方で、「好きなこと」には徹底して時間もお金も掛けて楽しむのが今の消費者の特徴である。
 「カリスマ主婦」は主婦業の見直しではなく、「主婦」を遊びや趣味として楽しむ傾向の顕れと見ることができる。その面では、カリスマ主婦がお手本を示す「洗練されたホームライフ」は、消費されるライフスタイルモデルとして今後もニューバージョンが提唱されていくに違いない。そこにビジネスチャンスを見る人々から、新たなカリスマが次々に生まれてくることが予想される。

●「主婦」像の創造的破壊に向けて

「カリスマ主婦」の冠のついた食器を買う「普通の主婦」は、将来、新たなカリスマ主婦となって、「OO流お掃除のできるOO洗剤」や「OO式ダイエットのためのOO食品」の売り手になる可能性がある。「カリスマ主婦」自身も昨日は「普通の主婦」だったことを考えるとそれは夢物語ではない。

  現在は、消費者と生産者、消費とビジネスの境がだんだん曖昧になる時代とも言える。
「主婦業のビジネス化」を担う人々が増える一方で、「素敵な家庭生活」を遊びや楽しみとして行なう人々も増えていく。楽しみを極めた人がそれをビジネス化し、成功することもあるだろう。

生産・流通と消費が分断された中で、もっぱら純粋な消費者であった「普通の主婦」像は、今、創造的破壊の時期を迎えている。家族の個人化に伴って、「普通の主婦」は、見えにくくなった。その代わりに、以前にも増して、自分自身のために時間と情報とお金を使うことができるようになった生活者が増えている。そのエネルギーがどこに向かっていくのか、今しばらく動向を見守っていきたい。 

 
 
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